『モヤさま』はフィールドワークの理想形なんじゃないの?

今日、ワークショップに参加してきてふと思った。

あの『モヤモヤさまぁ~ず』という番組って、新しいUXを生み出すために行うフィールドワークの理想形なんじゃないの???

 

『は?』って思う人がビッグバンの確率レベルで存在するかもしれないので、順を追って説明してみる。

 

 

さっきも書いたけど、大学の先生経由で面白いワークショップに参加してきた。

 

テーマに沿ったサービスを開発するためにグループでフィールドワークをしてアイデアを出し、出たアイデアをまとめて体験価値を考え、そのうえでジャーニーマップを作りプロトタイピングツールを用いてインタラクションと簡単な画面UIを実装する、といった流れを、たった1日(7時間)でやるもの。

 

冷静に考えて無茶苦茶なスケジュール。その代わりビジネス的観点や実現可能性はそこまで重視しないというもの。いや、それにしてもスピーディすぎる!

 

テーマは「渋谷を楽しむサービス」、ということで、まずは渋谷を知ろうってことでフィールドワークをしたけど、これがなかなかに面白かった。

 

ちょっと話が飛ぶけど、デザインと聞くとどうしても

『マイナスな要素をなくし便利で豊かな生活にする(-1→0)』

というイメージをしちゃうけど、今回は問題解決のデザインじゃなくて

『使った人が楽しめるデザイン(0→1)』

の創出が目的だ。それはフィールドワークのやり方から影響している感じだった。

 

問題解決という意識が全くないから、何の先入観も持たないし、ふと目線が行くところをじっくりと観察できる。

 

「なんか行列できてるな」とか、「うわめっちゃ写真撮ってるなあの外国人」とか。ちょっと気になるくらいのことでもバンバン追っかけて、何か「面白い」、「楽しい」タネを見つけに行ける。

『モヤモヤさまぁ~ず』も、実は今回のフィールドワークと同じようなことが起きている。この番組は、さまぁ~ずの2人とアナウンサーが街をぶらぶらしながらちょっとでも気になるところをいじっていじっていじり倒していくというものだ。それは、気になる事象に対してありもしない予測を立てたりだとか、ちょっと後ろを着けていったりだとか、そういう一定の自由さ純粋な興味があるからこそ、関わっている人間の深い深いところまで発想できるんだと思う。

これが逆に「問題解決」というイメージに縛られているとどうなるか。だれか人を見ても、「不便かな」「困っているかな」とか、そういう気持ちにつられてしまって、結果その人の行動がとても限定的なものに感じてしまうと思う。

もちろん、断じて「問題解決」を否定しているわけではないし、そういう目線で見たほうが生まれるものの価値が高いという意見もあると思うけど、それはあくまで「-1→0」のデザインだと思う。便利にはなっても、楽しめてはいない。

 

そう考えると、「0→1」のデザインって、まずはとってもクリアな気持ちでフィールドワークをすることがものすごく大事だと思える。

先入観から発想していくのではなくて、「あ、なんかあれ気になる」っていうレベルの感情から発想していくと、人の直感的な行動をヒントにして思いもよらぬアイデアが浮かんでくると思う。

 

実際僕たちのグループはフィールドワークを経て、人々が渋谷を歩くときは、基本的にスマートフォンを見ているか、斜め上に視線を向けているということを発見した。これは、複雑な道を歩くときに看板や広告を目印として見ていることや、人混みで前が見づらいから自然と少し上を見て歩くという行動から読み取れる。

人々が、自分でも気がつかないうちにしている行動を見出すことが、フィールドワークの非常に重要で、面白い点なんじゃないかなって思う。これは、先入観を持った状態で見つけることは絶対的に不可能なんじゃないのかな。

 

『モヤモヤさまぁ~ず』は、細かい部分に「なぜ」を置いて、人の行動や街の特性を面白く指摘している。それはひとえに、何か義務感のようなもので縛られているわけではなくとても自由であることと、直感から様々な発想をして、さらにそれを追求することで人の行動や街の特性を暴き出しているからなのではないか、と思う。

 

ううむ、僕も普段からあれくらい「なぜ」を置けるような人間になりたい。

絶対めんどくさい人間になりそうだけど。